ブラジルにおける医学の先進性

By: Kazusei Akiyama, MD

一般社団法人日本ブラジル中央協会の会報、ブラジル特報2015年3月号の特集に記載された文章です。2015年初頭の現状で執筆されてます。PDFはこちら

ブラジルにおける医学の先進性

ブラジルは医療発展途上国

国連が発表した2014年度の人間開発指数(HDI-Human Development Index)が187国中79位のブラジルは間違いなく医療発展途上国である。HDIは平均寿命、教育指数およびGDP指数の三つの指標からなっており、医療の発達は直接平均寿命に影響する。現在ブラジルには287000人強の医師がいるが、2/3はミナスジェラエス州以南の東南地方と南地方で活躍している。つまり、中部、北部と東北部には医師の密度が低いことを示し、これらの地方ではいわゆる無医村が多く見られる。例えば、筆者の同級生で医学部卒業後トカンチンス州に移住した者がいるが、1990年前半時点では半径250kmで唯一の医師であった。現時点ではブラジル全国平均で人口1000人に対し医師1.5人であり、WHOが推奨する最低、医師2.5人/人口1000人以下である。これが2013年よりブラジル政府が実施している医師輸入・医学部大量創立政策(Programa Mais Médicos)の根拠とされているがこれについては後ほどコメントする。

ブラジルにおける先端医学

このような医療環境で先進的な医学が行われているかどうかを考察する。先進的な医学をいうとまず連想するのが「先端医学(医療)」または「高度先進医療」であろう。いろんな名称があるが、本文では先端医学とする。先端医学の関心は大まかに二つに分類できる。一つが現在治療が確定していない健康上の問題の解決方法を探る方面。二つ目が現行の治療方法をさらに良い方向へ改善する技術を探る方面。また、実施面では「研究」と「臨床」にも分類できる。結論からいうと、当地ブラジルの先端医学は研究が弱く、臨床が強いと言えると考える。理想的には研究と臨床が同時に行える環境こそこれらがお互いに生きるのだが、この環境が整備されていないのが当地の現状であろう。日本では各医学部に先端医学関連の部署が設置されているが、ブラジルの医学部は少ない例外を除き、普通の医師を養成するのが精一杯といったところである。いかなる研究でもすぐに実用化するものではないので助成システムが必要である。研究先進国では、公共と私設の助成システムが豊富であるが、ブラジルではCNPq(Conselho Nacional de Desenvolvimento Científico e Tecnológico – 科学と技術の開発国家評議会、連邦政府の「科学と技術と革新の省」の部門)やFAPESP(Fundação de Amparo à Pesquisa do Estado de São Paulo、サンパウロ州研究助成財団、サンパウロ州政府の「高等教育局の外郭団体)の2機関が主な助成機関であり、公共資金がほとんどである。反面、総合的に社会的な整備がない事は先進国では考えられないような事が行えるのでもある。つまり、医師免許取得以前から医療行為に従事でき、医療費が無料の大学病院に大量に来る患者さんで臨床訓練ができる事を示している。このため、手技が問われる部門ではブラジルの(まともな医学部出身の)医師は先進国の同職者と比較して上手だと言える。

先端医学の分野をいくつか

先端医学の各分野としてはテーラーメイド医療(遺伝子レベルでの個体差に合わせた医療)、分子治療、細胞遺伝子治療などの研究と確立や、医工学を駆使した低侵襲医療、脳神経科学への応用などがある。前者の分野では癌、免疫疾患、糖尿病や虚血性血管疾患などのいわゆる生活習慣病関連、難治性疾患、細胞再生・移植医学、治療の確定されていない感染症の治療や予防などが主な研究対象である。後者ではロボット工学を用いた手術、腹腔鏡や非有線式カメラなど内視鏡技術、カテーテル経由の血管治療、脳神経損傷に対する工学応用などが代表的である。ブラジルではどのような事がされているのだろう?先端医学で最も目を引くのが、脊椎障害に対する対策として、脳波で制御する外骨格(exoskeleton)の研究であろう。これはサンパウロ大学出身の米国Duke大学教授のNicoelis医師の研究であり、去年のワールドカップのオープニングでかの外骨格を着用した脊椎麻痺の29歳男性がサッカーボールを蹴る場面(写真)が有名である(開催式の一部であり、平行して他の催し物があったのでテレビでは1秒しか映らなかった。そのため実際本当に作動したのかどうか議論があるが)。その他、サンパウロ大学で糖尿病治療として幹細胞を使った膵臓細胞再生の研究やリオデジャネイロのFIOCRUZ(Fundação Oswaldo Cruz、オスバルド・クルス財団、連邦政府の保健省の外郭団体)のデング熱ワクチン開発などが挙げられる。FIOCRUZは1900年創立当初からブラジルの感染症系の先端医学を担っているといえるであろう。元々ペスト対策に創設された機関であったが、クルス博士主導で当時ブラジルの首都であったリオの黄熱を駆除した実績がある。最近では中南米で初めてHIV菌を分離したり、開発途中のシャーガス病の治療薬やマラリアのワクチンの研究などがある。広い国土の上、医療格差が激しい当地で最も期待される先端技術は遠隔医学(telemedicine)であろう。これはインターネットなどの通信技術を活用して、診察、診断、治療をする行為である。例えば、僻地の医師が医用画像を中心地の専門医療機関に送信して、診断の支援を仰ぐ。そして、一番高度な行為は遠隔手術だとされる。しかし、お粗末なブラジルの通信事情では実用化が困難であるのが現状である。

臨床方面での先端医学

ブラジルの医療で世界にも誇れるのは、臨床方面であろう。ブラジル人は意外と器用であり、好奇心旺盛で、新興的社会のため元からの慣習やしがらみが少ないので新しい技術や知識に対する抵抗が少ないように思われる。この例として、心臓移植手術と肝臓移植手術はどちらも世界で2例目であったことが挙げられるのではないか。慣習の例としては、医療鍼灸が典型的ではないだろうか。日本ではもとから東洋医学が存在したが、明治政府により禁止され再度医療システムに完全に取り入れられるまでに130年ほどかかっている。禁止の派生で鍼灸師制度が出来たので鍼灸そのものは存続したが、医師は鍼灸を敬遠したのだろう。当地ではこのような歴史がないので、1980年代までは冷たい目で見られていたが1990年代に10年くらいでアッサリ伯国医師会の分科会にまで成長した。

ブラジルの医療ツーリズム

サンパウロ市の第一線の病院では外国の患者が治療受診に訪れ、増える一方である。この10年間で毎年15%の増加率の試算がある。連邦政府観光局の統計では年間6万人程度が医療観光にブラジルを訪れるとするデータも存在する。この現象はまず、当地トップクラスの医療機関は米国の同クラスの機関と差異が無いからであると考える。また、医療内容もさることながら、(まだ)人件費が比較的安いので医療スタッフを大量に投入でき、病院のいわゆるホテル機能が大変優秀であることも人気の一員にあると思われる。邦人でこの事実を活用しているのは駐在家族の奥様方ではないかと思う。然り、「わざわざ」ブラジルで出産をされているケースをよくみるのである。語学や習慣の違いの問題以上にメリットがあるからであろう。日本人を含む外国人がよく受ける医療行為は、癌治療と皮膚科エステ関連、人工授精、外科では美容形成、歯科、整形外科、心臓循環器系、神経外科、肥満外科手術などである。特に美容形成手術は世界的にも有名で、最も著名なのはイーヴォ・ピタングイ博士であろう。リオのボタフォーゴ地区にあるクリニックには世界中から患者が受診し、特にアラブの王室のお気に入りであることは有名である。皮膚を露出する機会が多く、美容を重要視するリオならではの現象である。

「Mais Médicos」の問題点

最後に紹介したいのが、先端医学ではないが、先端医療政策といえるのが、現政権が2013年に開始した「Mais Medicos」(直訳:もっと医者を)政策で、ブラジルの医療過疎や偏在を解決しようとするものである。まず国外で医学を学んだ医師免許の怪しいブラジル人やキューバ人医師を1万5千人程度過疎地に投入する。平行して、2018年までに1校100人位の医学校を110~120校創立して、毎年11000人医師を増やすといった無謀な政策である。世界的にも例のない試みである。当地の医療過疎は医学校の不足から来るモノではなく、地方に医師を分配し、根付かせる政策が無いのが問題の根本にあり、そのあたりを整備しないでは先が思いやられる。

2015年2月6日執筆