By: Kazusei Akiyama, MD
サンパウロ市の日系病院、サンタクルス病院の設立70周年記念冊子(2009年)に記載された文章です。日本国の情報開示法律で閲覧できるようになった昔の外交資料を研究してみたのもです。昔のブラジルの医療事情の一端が見えます。2009年5月15日執筆。
サンタクルス病院建設における中核組織「同仁会」
日本国アジア歴史センター外務省外交資料館で覧られるサンタクルス病院関係資料は他国の日本病院関係資料とくらべ大変豊富であり、病院建設の経過は二宮正人博士の原稿のとおりである。国立公文書館の資料を閲覧すると、在ブラジル邦人の当時の衛生状態、医療事情を垣間見ることができ、病院建設に至る医療事情について少し考察したい。
在外邦人の一番の不安は生活面以上に健康であったことは昔も今と同じであることは容易に考えられる。サンパウロ州の広大な土地に散開して入植したため、当初は現地の医療機関に頼らざるを得なく、病気の不安に加え語学の問題も多々あったと思われる。特に各地の慈善博愛団体であった(今でもある)サンタカーザ・デ・ミゼリコルジアへの提携が資料随所に認められる。多く見られる病名は「トラホーム」、「マラリア」、「チブス(チフス)」、「赤痢」、「肺病(肺結核)」など、伝染病であった。
在伯邦人の健康衛生を組織的に管理したのが1924年に設立された在ブラジル日本人同仁会(以下、同仁会)であった。サンパウロ日本病院つまりサンタクルス病院はその後落成時点ではブラジルで最先端を行く医療機関になり、もちろんブラジル社会にいろんな面で貢献するにいたる。しかし、発端は安心して邦人が利用できる施設の確保ではなかったかと筆者は愚考する。病院建設にあたり、皇室より御下賜金があったことは周知の事実であるが、その詮議にあたり、邦人社会事業優良団体の選定で1933年9月16日付けで在サンパウロ総領事内山岩太郎氏が外務大臣廣田弘穀氏に送付した「在ブラジル日本人同仁会に関する調査要項」で同仁会が紹介されている。
在ブラジル同仁会の事業の種別
1. 医療器具および薬品の無料若しくは実費配布
2. 薬剤師、助産婦、看護人及び看護婦の養成
3. 衛生指導の印刷物無用配布
4. 農村衛生講習会及び講演会開催
5. サンパウロ日本病院並びに肺療養所の建設
6. 地方へ医師派遣
7. 無料診察
この要項には1932年度の数字が記載されている。それによると同仁会の収入の74.4%が外務省医療施設費補助金であり、在外邦人の健康政策を担っていたと考えてもよいであろう。その中でトラホーム治療の費用が群をぬいている。事務所内健康相談所は年間5030人の利用者があった。業務内容は無料診察、疾病及び衛生上の相談、サンタカーザ入院の手続き、糞便無料検査があり、通信により疾病及び衛生に関する質問に回答する衛生相談所も開設されていた。家庭常備薬箱無料配布プログラムもあったようだが、これはロジッスティックの問題で頓挫したもようである。医薬品の配布は図1のとおりであった(在外本邦人社会事業関係雑件 第一巻 6.伯国、18ページより抜粋)。衛生指導の印刷物は高岡専太郎医師の著書が有名である。巡回診療は邦人集団地方医療巡回班によりバウルー医局、リンス医局、サントス医局、プ・プルデンテ医局から組織され、1934年以降はレジストロ、セッチバラス、バストス、チエテなどにも医局が設立された。また、ブタンタン研究所との提携があり、各地での予防接種事業でチフスと赤痢予防注射が実施された。
これらの資料は病院設立以前の医療事情の歴史的証人である。先人達の苦労と需要、健康に関する情熱を伝えてくれるものであり、サンタクルス病院存在における初心を忘れないようにしたいと改めて思う。
秋山 一誠、サンタクルス病院医局員
Dr. Kazusei Akiyama, Médico do Corpo Clínico do Hospital Santa Cruz