By: Kazusei Akiyama, M.D.

April: Clear sunrise. São Paulo. Caju©2021
2025年4月
医者のウソは方便なのか?
先月のひとりごと、「酒」の話で今まで書いてきた「開業医のひとりごと」を引用するため一通り目をとおしてみると、「またの機会に展開します」話が色々ありました。その内の「医者のウソは方便」が今の時代と衝突する感じで気になりましたのでこのテーマで今月は展開していきたいと思います。
まず定義からいきましょう。「ウソ」とは意図的に事実と異なることを述べることです。例えば、「昨日は遅くまで働いてたよ」と言うのが本当はそうでなかったら、それは嘘になります。動機は様々で、冗談、自己防衛、あるいは他人を騙すためかもしれません。正しいとか間違っているはともかく、基本的に誰かを「誤解」させたりするための行為でしょう。いわゆる「意図的な虚偽」です。特に西洋社会は個人主義が強いので、嘘は「個人の信頼」や「自己の誠実さ」を損なうものとして重く見られがちです。「方便」は仏教の「upāya」という概念からきており、真実をそのまま伝えるのではなく、相手の理解や救済のために適切な手段であり、時に嘘を使うことがあります。ここから「嘘も方便」という日本の慣用句にもつながり、続いて「医者の嘘も方便」といった言い回しができるのですね。
この考え方からいくと、ウソは悪いモノではないと言うことになります。本当に悪いモノではないのでしょうか。西洋と東洋では捉え方が違います。東洋社会では個人より集団の和が重視されるため、嘘がグループの調和やメンツを保つために使われることがあります。例えば、上司や親戚に失礼にならないよう本音を隠す「建前」は、嘘の一種とも言えますが、社会的に受け入れられています。だから「医者の方便」のように相手のためになる嘘は肯定的に捉えられる訳です。西洋でももちろんwhite lie(白い嘘)という同じような悪意のない、相手を傷つけないための嘘は許容される概念がありますが、どちらかいうと良いか悪いかの二元的になりがちだと考えます。反面、東洋では自然の流れに従うことが重視され、嘘か真実かという二元論よりも、状況に応じた柔軟性が優先されることがあります。嘘が「調和」や「バランス」を保つなら、必ずしも否定されません。ウソが「悪い」とされるかどうかは、状況や文化、意図によって変わるので、一概に「悪い」「悪くない」とは言えない部分があります。
『西洋が「(はいyes)か(いいえno)か」のバイナリデジタルで成り立っているのに対し、東洋では(はいyes)、(いいえno)、(はいといいえのどちらもyes and no)、(はいでもいいえでもないnot yes nor no)の4パターンあるそれだな。(註1)』
- 註1:インド文化の概念です。
ここまで来るとこのコラムの25人の読者様はウソはそんなに悪いモノではないと思うようになってきてませんか?もう一度整理してみます。
◎嘘が「悪い」とされる理由
一般的に、嘘が「悪い」とされる背景にはいくつかの要素があります:
信頼の崩壊: 嘘がバレると、人間関係や社会の信頼が損なわれる。例えば、友達に「昨日会えなかった」と嘘をついて別の予定を優先したら、信用を失うかも。
害を与える可能性: 他人を騙して利益を得たり、傷つけたりする嘘は非難されやすい。企業のCSRで「環境に優しい」と偽るのも、消費者を誤解させて害を及ぼすから問題視されます。
道徳的規範: 西洋のキリスト教(「偽りの証言をしてはならない」)や東洋の儒教(「信が重要」)など、多くの文化で「真実を語る」ことが美徳とされ、嘘はそれに反するものとされます。
◎嘘が「悪くない」場合
でも、嘘が必ずしも「悪い」とは限らない状況もあります:
相手を守る嘘=方便:「医者のウソは方便」のように、患者に「大丈夫だよ」と言う嘘が不安を和らげるなら、それは優しさや思いやりからくるもの。プラシーボ効果(註2)を狙っているウソもありますね。東洋の「嘘も方便」は、まさにこの考え方ですね。例: 子供に「サンタが来るよ」と言うのは、楽しさを与える嘘。
調和を保つ嘘: 東洋社会では、集団の和を優先して本音を隠すことがあります。「おいしいね」と微妙な料理を褒めるのは、相手を傷つけないための嘘。
結果が良い嘘: 西洋でも見られる功利主義的な視点では、嘘が全体の幸福を増すなら許される。例えば、戦争中に敵を騙して味方を救う嘘は「正義」とされることも(註3)。
- 註2:プラシーボ効果:実際の薬理作用がない物質や治療(偽薬や偽の処置)を用いた場合でも、患者が「効果がある」と信じることで症状が改善したり、気分が良くなったりする現象。
- 註3:古代ギリシャでは、嘘は社会秩序を乱すものとされつつも、統治者が民を導くための「高貴な嘘 (noble lie)」は正当化される場合があるとされました。
◎嘘の「善悪」は状況次第
結局、嘘が「悪いモノ」かどうかは、以下に依存します:
意図: 自分だけ得しようとする嘘は悪意と見なされやすいけど、相手のためなら許容される。
結果: 嘘が害を及ぼすか、利益をもたらすか。企業のCSRのグリーンウォッシングは害を及ぼすから「悪い」、でも社員を励ますための「少し大げさな言葉」は良い場合も。
文化: 西洋では「真実」が原則(哲学でいうとカントは「どんな嘘もダメ」と嘘は普遍的な信頼を壊すから絶対的に否定)で嘘は例外的に許される(哲学でいうとニーチェは「真実がいつも良いとは限らない」と、嘘にも価値を見出す余地を認める)けど、東洋では状況に応じた柔軟さが認められがち。
嘘は「悪いモノ」と決めつけるより、「何のために、誰のために使われるか」で評価が変わる訳です。純粋に悪意だけの嘘は少ないし、むしろ人間関係や社会を円滑にする道具として機能することもある。逆に、嘘がなくても生きられるかと言えば、現実的には難しいですよね。「悪い」と感じるのは、嘘そのものより、それが引き起こす結果や裏切り感なのかもしれません。結論としてはウソは悪いモノではない場合もあると言う事になります。結局、良い悪いの以前の問題で、ウソを言っている人(組織)の倫理(ethics, ética)によるところだと考えます。
『思いやるのか?偽るのか?つまり、善意か、悪意か、に行き着くか。』
この部分を「見抜く」のが難しいのではないかと思います。人間は「認知バイアス」というものがあります。「単純接触効果」のように繰り返し聞くと信じやすくなるといった「習性」です。「刷り込み」というヤツですね。これを悪用した有名な例がナチス・ドイツの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスに帰せられる「ウソも100回言えば本当になる」ではないでしょうか?意図的、組織的に「嘘を効果的に使う」技術であり、どこかの国のL政権が多用しているように現在も使用されています。
また、ウソは「虚偽」や「欠如」、「誤解」が根本にあるので、反面の「本当」、「真実」、「事実」、「実情」、「確証」などの概念が絡んでくるものです。例えば、容器に美味しい飲み物が半分、50%あるといる事実に対して、人によっては「まだ半分残っている(からまだ楽しめる)」と見るし、あるいは「もう半分しかない(から損した気分)」と見るでしょう。どちらが正しいと言えるのでしょうか?これらの概念はまた引き続きひとりごとします。