By: Kazusei Akiyama, MD
2018年04月
今月のひとりごと:『孤独は個独?』
今年の1月にニュースになった英国で新設された「孤独担当大臣」(註1)、このコラムの24人の読者様はご覧になられましたか?イギリス社会で「孤独に困っている人達」のために総合的な政策を率いるそうです。市民が参加できる地域活動や相談窓口の設立を啓蒙するのが主な政策になるようです。どうしてわざわざ「孤独」を「問題」とし、対処する事が必要となるのでしょうか?
孤独に困る人間は人類が社会生活を始めてから、存在するのは簡単に想像できますよね。集団生活をするのが人類にとってメリットがあるので、社会というものが出来た訳です。その集団から何らかの理由で孤立してしまった人達は実際生活をするのが大変になり、また、孤独は健康への負の影響を及ぼし、病気のリスクを高めるので社会的政策の対象になるのです。
孤独が健康リスクになるのは既に出ている研究では「鬱病」「認知症」「アルツハイマー病」「心筋梗塞」「早期死亡」などがあります。勿論いずれも孤独により、リスクが増えます。それも多少ではなく、アルツハイマー病を例に挙げるとリスクは2倍以上になる試算です。米国での研究結果によると孤独のリスクは1日にタバコを15本以上吸うことやアルコール中毒症に匹敵する、肥満の2倍や運動しないことより高い(註2)というのがあります。
『社会的孤独問題。とうとう大臣まで出たかといった感じがする。まず高齢化社会問題の副産物であるのは自然現象としても、社会不適合のために急増している孤独。これだけグローバル化した社会、ネットでつながった社会に住んでいるのに… また、我々の社会は現在都市化、核家族化、少子化が進んでおり、その恩恵に浴していると思って生活してますよね。面倒な村社会や近所の付き合いや家族のしきたりが減って気楽になったと喜んでませんか?(註3)これが、その結果、「無縁社会」というものを作り出しているのだな。』
日本人は元は農耕民族です。稲作を村全体で行う。1人では出来ない。なので集団生活、集団感覚が重要であったのでしょう。「孤独」を辞書で引いてみると、「ひとりぼっちで寂しい様」と出てます。日本語では孤独は宜しくない状態と考えられているのですね。英語では孤独を意味するsolitudeとlonelinessの二つがあり、それぞれ意味が違います。後者が要するに宜しくない状態で1人でいて寂しいを意味し、前者は自らすすんで孤立することを意味します。如何にもプライバシーを重んじる欧米社会ならの考え方ですね。日本語にはこの概念がありません(註4)。無縁社会になると、各自自由であると錯覚してしまい、特に現在の日本の社会では「おひとりさま」がもてはやされるようになりました。結果、世界で一番の孤独大国になったのではないかと考えます。図に2005年に行われたOECDの調査を示します。
図:他人(友人、同僚、集団と全く(赤)あるいは滅多に(青)付き合わないと回答した人の割合。
次の図も日本の社会構造が変わってきている事を示すものではないでしょうか?
図:日本人の死亡場所別の割合の推移。
『孤独は明確に求めるのは悪い事ではない。孤独状態は自身の存在について考える機会をあたえ、創造性、想像力につながると考えられている。瞑想もそうだし、宗教関連で「籠もる」修行があるぞ。問題は「人と居たいのに疎外している」や「社会不適合でなんとなく1人でいる」のでしょ。後者がいわゆる「おひとりさま」ではないか?よく考えて行動しないと、最後は「孤独死」に行き着くぞ!』
註1:Minister for Loneliness。
註2:これは解りやすいですね、1人だとろくな物を食べなかったり、出かけなかったり(または出かけないから孤独という面もありますね。)。
註3:ネットで「帰省でもめる」などで検索すると山の様に出てくるぞ。。
註4:「孤高」と言う言葉があるが、他の追従を許さないほど優れた状態に用いるので、自らとは言えないですね。