By: Kazusei Akiyama, MD
2010年11月
今月のひとりごと:『医は仁術なのか?』
このコラムの22人の読者様、 季節の変わり目で体調を整えにくい今日この頃ですが、皆様お元気ですか?今月はとある患者様が「医は仁術でしょう?だから診察費は安くないといけない。」と発言されたものをひとりごとします。
『「医は仁術(なり)」を広辞苑で引いてみると「医は、人命を救う博愛の道である」とある。もともと中国の明時代の記述であるが、日本では貝原益軒が江戸時代に「養生訓」に用いた定義が一番有名であろう。つまり「わが身の利養のみ志し、人をすくふに、志専ならず。医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。」といった理論になるわけだな。病気になると必ず不安がついてまわる。普段であれば問題のない判断でも上手くできなくなる。要するに困っているところに付けこんではだめだぞということだな。医師と患者の関係はどうしても上下になりがちなので特に気を付けないといけない。ところが実際はそうではないのだな。「医は算術」なる言葉が出現したのが証拠でしょう。つまりお金持ちを優先したり、利益の多い処置を選択したり、売名できる状況を喜んだりすることが多々あった(ある)のだな)(註1)。筆者の仁術の解釈はポイントは仁愛の心であり、人が好きで人を助けるのを良とする心が第一ではないかと思う。利益目的の医学であってはならない。利益は患者にとって最適の医学を実施した結果であるべきなのだな。しかしそうではない経験が皆さんにはありすぎるのだな。だから頭の中での理解が仁術から算術に変換してしまい、総じて医療費は高いといった意見になるのではないだろうか(註2)(註3)? 反論すると”わが身の利養を考えるな”とは”貧乏をしろ”ということではないと考える。日進月歩の医学で最も重要なのは最新の知識を手に入れることであると思うが、これにはほどほどお金がかかるのだな(註4)。最低限の収入を考えると、安価で多人数を診るか、高価で少人数を診るか、このどちらかになってしまうのだな。皆さんは安いけど勉強もしてない(しない)(できない)医者に行きたいですか?』
註1:医は算術で圧倒的に有名な小説は山崎豊子の「白い巨塔」でしょう。22人の読者様たちにはお勧めします。少し前の時代の話ですが、根本は変わってません。こんな医療システムに自分の健康を委ねて大丈夫なのか疑問に思いますよ。
註2:もちろんこの現象の一番の責任は医師にあり!
註3:最近の医療費は高い。でも医師の報酬が高価ではなく、検査費用や処置費用などの医療の高度化のため費用の高騰が主である。また、三分診察で代表される保険診療も医療費を高くしているのだな:診察時間が少なすぎる(理由は診察報酬が低いので ー日本の場合、初診の基本料金は2700円(約35米ドル)ー 多人数診ないと経営がなりたたない)ので考える時間がなく、検査ベースで考察をしてしまうのだな。検査の方が高額なのに。
註4:ちなみに筆者は最新の医学書が購入できない収入になった時点で医業は廃業と考えてます。